2009年10月10日土曜日

URAWA Honda Wins?-幻のJ1?当初は三菱重工ではなかったのか…-

皆さん今日は、明日の天皇杯2回戦レッズの勝利を祈りましょう!
今日のお題

幻のJ1浦和ホンダ・ウィンズ?
 明日、レッズは信州で松本山雅FCと天皇杯2回戦に挑む予定(13:00キックオフ・於:松本平広域公園球技場アルウィン)。天皇杯の2回戦からのトーナメント表を見てみると、レッズは2回戦に勝つとして、3回戦に進むと岐阜か栃木の勝者だが、この辺は大丈夫だと思う。問題は4回戦で大分か千葉が順当だろうか?ただ、JFLの横河武蔵野やHonda FCも侮れない。天皇杯のような短期決戦のトーナメントは予測がつきにくい。特にリーグ戦で下位のチームやJFLのチームが、モチベーションを高めて勝利を狙ってくることがある。レッズが順当に勝ち進めば良いのだが?
 この4回戦までのトーナメント表で、Honda FCが目を引いた。『サッカー批評』の宇都宮撤壱氏の論考でJ1を目指さなかったJFLとして記憶に残っていた。
 さらに、この論考を改めて読んでみてびっくり!何と、当初浦和市がJリーグ・チームとして招致していたJSLチームは我らが三菱重工ではなく、Honda FC(本田技研)だったのだそうだ。当時の浦和市の青年会議所が中心でHonda FCの招致をしていたそうで、「浦和ホンダ・ウィンズ」というクラブ名まで用意されていたそうだ。その一方で、地元静岡の浜松市でもプロ化へ向けた市民の要望が強かったそうだ。結局、Honda FCのプロ化と浦和移転問題はホンダ本社の預かりとなり、役員会議などの結論で「浜松での地元貢献」と「ホームタウン」を重視しHonda FCのプロ化と浦和への移転を断念したそうだ。ちなみに、当時Honda FCに所属していた選手は、後に住友金属(後のアントラーズ)に移籍した黒崎久志、本田泰人、長谷川祥之や読売クラブ(後のヴェルディ)に移籍した北沢豪、石川康らがおり、後のJリーグ初期を支えた選手たちである。
 世の中、タイミング一つで本当に歴史物語が変わってしまう。もし、浦和にHonda FCが来ていたら、レッズは誕生していなかったのだ。

参考文献
宇都宮撤壱2008「Jリーグを目指さなかった理由 JFLの“門番”Honda FCのフィロソフィー」『サッカー批評』issue38


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