2009年10月15日木曜日

“Armenian genocide”‐「大量虐殺」の見出しを掲げた「無教養メディア」

皆さん今晩は、今日もお疲れ様でした。
今日のお題
「大量虐殺」の見出しを掲げた「無教養メディア」

 しばらくオトナシイト思ったら某スポーツ紙が、トンでもない記事を掲げた。「(アルメニア人の)大量虐殺」、しかも共同通信ネタのコピペで。ただのネガティヴ記事を掲げている分は見過ごすが、とうとう「民族、宗教、政治」に関わる問題をただの興味本位で、しかも他力本願記事を無評価に掲載するという「平和ボケ日本人的な」愚考を仕出かした。
 19世紀にオスマントルコ帝国で起きた少数民族のアルメニア人の大量虐殺と迫害は、今日でもその歴史的評価や政治問題が取り扱われておりとても複雑でデリケートな悲劇だったのだ。問題は難しいし複雑なので展開しないけど、「民族、宗教、政治」問題を単なるご都合主義的なネタで掲載するべきではない!民族紛争問題は非常に繊細で根が深い問題なのだ。
 例えば、あのイビチャ・オシムに関する本や当時国連の高等弁務官だった緒方貞子女史のドキュメントを読むと歴史問題を含めて、旧ユーゴスラビアなど多くの地域における民族対立、紛争や内戦、政治的混乱は壮絶で、後を絶たない。当時の名古屋グランパスで現役だったピクシーがJリーグの試合中にユニフォームを脱ぎすて、文字が書かれた白のTシャツを曝け出しNATOの空爆に抗議したシーンは今も記憶に焼きついている。覚えているだろうか?
 日本は単一民族志向が強く、島国で他国と国境が海域で隔てられているから、民族問題、差別問題に疎いのだ。例えば、旧ユーゴスラビアは「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と表現されている。我々日本人に想像できるだろうか?この複雑な地理的、政治的、宗教的、文化的、歴史的複雑さが一つの国でまとめられた社会空間を?
 このスポーツ紙が、ここまで無知、無教養だとは…名前を出すのも憚られる。この記事を掲載する意味は一体何だったのだろうか?ただ「大量虐殺」と「投石」を見出しに人を釣るという、お決まりの話題取りだろう。週刊誌と同じだ。また、マイナスの貯金して…
 人の不幸を他人事で済ますのは構わないが、スポーツ・メディアがメディア媒体で無意識、無教養に「歴史的に重大な国際的民族問題」を垂れ流すのは「非常識」だ。プラスの成果が全く期待できない。
 今、ピクシーが名古屋にいて、サンフレッチェではミハイロ・ペトロヴィッチがそれぞれ監督をしている。かつてはイビチャ・オシムや元レッズのゼリコ・ペトロヴィッチ(現ハンブルガーSVコーチ)がいたはずだ。彼らがかつては現代の民族紛争と戦争の悲惨さを我々に教えてくれたのに、「コイツ等」はアルメニア人の悲劇を無作法に取り扱っているのだ。まるで他人事、学習能力、教養がないのだ。無知は恐ろしい。
 ネタ元新聞社さん、カルマが絶対巡ってくるよ…きっと…当の本人たちにはアイデンティティーの問題なんだから!
 国際ネタの取り扱いを間違えると、他国の人々から軽蔑される…本当に…

参考文献
緒方貞子2002『私の仕事――国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』
草思社
木村元彦2008『オシムの言葉』集英社文庫
シュテファン・シェンナッハほか2006『オシムが語る』
集英社インターナショナル
※アルメニア人の大量虐殺、ユーゴスラビア紛争はWikipediaを参照した。


宜しければ、お一つお願いします
にほんブログ村 サッカーブログ 浦和レッズへ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿